REVIEW

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『家が好きな人』

イラストレーターの井田千秋の作品。“コミック&イラスト集”という帯の紹介文に現れているように、ストーリーマンガではなくてイラストを中心にマンガのコマを使って登場人物の動きや時間、小さな物語を加えてみました、といった柔らかな雰囲気の一冊。オムニバス形式で5軒の家や部屋と住人の日常のひと時が描かれている。

『家が好きな人』というタイトルではあるが、登場する5軒の住人たちが「家が好き!」と宣言しているわけではない。“自分の家が好きで、そこに流れる時間が好きで、そこで過ごす自分ももっと好きな人達”(作者あとがきより)という設定なのだ。ではそんな人達はどんな空間で何をしているのだろう?休みの日に早起きできたら、ポテトサラダとチーズをのせた温かいトーストを朝の光を感じながら食べて、そしてまた寝る。週末、仕事から帰宅してアルミ鍋の鍋焼きうどんで体が温まったら、こたつで一杯飲みつつハマっているドラマを見る。雨の降る日に好きな部屋着に着替え、大きなチェアの特等席に深く深く沈むように、壁に好きな映画を映して見る。初めての一人暮らしのワンルームを、少しずつ自分の“好き”で埋めていく。誰でもなんとなく同じような経験を思い起こさせるような、ありふれた日常の一コマだ。コロナ禍で“おうちごはん”“おうち時間”に否応なく直面した私たちだが、この作品の中で描かれているのは同じ“おうち”でも、家で部屋でくつろいでいる柔らかな穏やかな時間だ。日常の中にある悩みや辛さ、深刻さとは少し離れて、だらだら、ぬくぬく、ごろごろしている時間。温かいもの、甘いもの、好きな音楽や映画とともにある時間。そしてそれがお気に入りの家具やモノがある自分の居場所なら、なんて上質な時間を過ごせるだろう、そんなことを思わせる作品。

井田はイラストレーターとして活躍しているが、この作品の1軒目と2軒目はコミティアやネットで同人誌として発表した作品で、3軒分を描き下ろす形で本作となった。2020年代らしい作品の生まれ方だろう。こうした現代的な出版の一方で、現代的日常生活に欠かせないモノの一つであるスマートフォンは、井田の描く部屋の設えや住む人たちの時間の中にない。居間の机や仕事机の上にはタブレットやノートPCがそっと置かれているが、住人たちの穏やかな時間にはスマホは必需品ではないようだ。こんなところに作者の強いメッセージがあるのかもしれない。

written by Undo

作家井田千秋
作品情報『家が好きな人』(実業之日本社 全1巻 リュエルコミックス)
https://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-64080-8

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