REVIEW

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『インク色の欲を吐く』

絵を描くことは人間ならではの表現活動で、そしてマンガは物語を言葉と絵で描く表現である。ルーブル美術館もマンガを建築、彫刻、絵画、音楽、文学(詩)、演劇、映画、メディア芸術に次ぐ、第9番目の芸術としたように、マンガが美術という大きな文化、表現領域に分類されても異論はないだろう。マンガの芸術性がどの社会においても徐々に認められてきたということともに、それはそれだけ多くのマンガ作品が描かれ、人々に親しまれてきたことの証でもある。

2023年の現在も数多のマンガ作品が、従来の流通形態だけでなく、同人誌をはじめWebメディアやSNSを通して世に出ている。当然、その作品たちによって多くのジャンルが形成され、さらにジャンルの細分化が起こっていまやサブジャンルも乱立状態である。さて最近その中に美術に関するものも成立するようになってきた。絵を描くという同じ領域の表現同士、描きにくいこともあるのではないかと想像するのだが、マンガはそうした領域にも挑戦してくる。今回紹介したいのは、美術ジャンルでも「画家」というジャンルの作品。しかも実在の画家を描いた作品が意外にある。例えば葛飾北斎をはじめ浮世絵師は人気のキャラクターだ。1980年代、葛飾北斎とその娘お栄を描いた杉浦日向子の名作『百日紅』をはじめ、『北斎先生!!』(城戸みつる)『あやかし浮世絵導師』(漫画 ちさかあや、原作 大志充、脚本 酒巻浩史・熊谷純)などギャクやバトルファンタジーなど縦横無人の活躍だ。歌川国芳一門を描いた『ひらひら』(岡田屋鉄蔵)、『茶箱広重』(一ノ関圭)も興味深い。西洋美術史の流れに目を向けると、ヤマザキマリの『リ・アルティジャーニ ルネサンス画家職人伝』は、15世紀ルネサンスを彩った画家たちを“職人”という視点で描き、背景に描かれる風景、建築物、道具類の細部までこだわった描写がすばらしい。マンガならではのエンタメ、ファンタジー要素を導入した作品も多い。ミケランジェロを描いた『鉄槌とピエタ』(真冬麻里)、ベラスケスを描いた『宮廷画家のうるさい余白』(久世番子)、テオドルスを主人公に兄フィンセント・ファン・ゴッホの時代を描いた『さよならソルシエ』(穂積)などがある。そして『ジェリコー』(中原たか穂)。ジェリコーについてたくさんの優れた研究がなされているが、この作品を読むとマンガという表現の視覚的な破壊力のすごさを感じる。

そしてやっとたどり着いたが、皆さんはビアズリーという画家をご存じだろうか?オーブリー・ビアズリー(1872-1898)は、19世紀末の美術において特異な存在の画家で、耽美的、退廃的、官能的といった言葉が、彼の作品を形容する。このビアズリーを描く意欲作が、梅ノ木びの『インク色の欲を吐く』。ビアズリーの名前は同じく19世紀末の文学界において時代の寵児と言われたオスカー・ワイルドの、戯曲「サロメ」の挿画を手がけたことにより世に登場、ビアズリーの作品は自身が創刊、編集にも参加した文芸誌『イエロー・ブック』や『サヴォイ』など出版物を通して広まっていく。出版物、つまり印刷物ならではの白と黒の絶妙なコントラスト、細かな点描、身体や衣装を縁取る美しいビアズリーの曲線は、確かに退廃的で官能的な視覚的な刺激を十分に纏っている。ビアズリーは25歳で亡くなり、画家としての活動期間はごく短いにもかかわらず、続くアールヌーヴォーやポスター芸術への貢献を評価されている。『インク色の欲を吐く』では、画家ビアズリーの作品の耽美的、退廃的な特質を、ビアズリーの姉メーベルとの関係に落とし描くことにより、史実だけではないマンガ作品ならではの物語になっている。男装したメーベルがワイルドに「サロメ」の挿絵を描きたいと売り込みに来る作品の冒頭から、常に死の予感が付きまとうオーブリーの芸術への渇望が、大きな欲望となって展開していく予感がする。『ねえさん、起きて』(2022年 KADOKAWA アンソロジー「惑わせる女たち」所収)や『どうかしてる兄』(2020年 初出同人誌 あるびの名義)など、蠱惑的な女性やグロテスクで歪んだ愛など人間の欲望を描いてきた梅ノ木びの志向が、19世紀末という幻想的で少しゾワッとする爛れたそして混沌とした時代の雰囲気に似合っているように感じる。装丁にも工夫があるので、ぜひ紙の本でカバーを取って現れ出てくる本体を見て欲しい作品。

written by Undo

作家梅ノ木びの
作品情報『インク色の欲を吐く』(KADOKAWA 1巻刊行中 ハルタコミックス)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322201000705/

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