Manga Review #04
『月の番人 MOONCOP』
日本人と月。例えばどんな話を思い出すだろうか?『竹取物語』は子供から大人まで人生のどこかで触れる作品で、日本のアニメーション界の巨匠・高畑勲が最後に私たちに残してくれた作品も<かぐや姫の物語>だった。月が物語の重要な設定を担うマンガも多い。例えば、いま数々の困難を経て月面に立っているムッタとヒビトの『宇宙兄弟』。月に変わって悪者をお仕置きしてくれるのは『美少女戦士セーラームーン』だ。『僕の地球を守って』や『宝石の国』では物語の大きな秘密は月にある。月が散々な目に合うエピソードもいろいろあって、『AKIRA』では鉄雄がその超能力で月面を破壊して巨大クレーターを作り、『ドラゴンボール』では亀仙人とピッコロに2度もあっさり破壊されている。『暗殺教室』や『炎炎ノ消防隊』でも、静かに眺めて楽しむような月の姿ではなくなっている。
さてそんな日本のドキドキするような物語とは対照的なトーンで描かれるのが、トム・ゴールドの『月の番人』、地球を眺めながら月のコロニーの安全を守るお巡りさんの物語だ。主人公はコロニーに住む人たちから“お巡りさん”とだけ呼ばれていて、名前は分からない。月のコロニーは人が地球から移住してから時間が経ち、むしろ地球に帰る人が多くなって過疎化が進んでいる様子。いつもコーヒーとドーナツを買っていたお店は自動化され、月の博物館も閉鎖になった。住んでいるユニット式の集合住宅はだるま落としのように、どんどん取り外されて高層だったのがすっかり低層になってしまった。警官になって月面で暮らすことが夢だったお巡りさんも、一人また一人と知り合いが地球へ帰っていく月で、“パーティが終わってみんなが家に帰っていくのを見ているみたいな感じ”になっている。『月の番人』は、みんなの夢だった月のコロニーが星と岩山の荒涼とした風景になっていく、そんな静かな月の世界での物語を描いたグラフィックノベルだ。
このお巡りさんが住んでいるユニットを積み重ねた集合住宅は、まるで中銀カプセルタワーのようだ。黒川紀章が設計した日本のメタボリズムを代表する建築であるこのカプセル型の集合住宅は、本当は月面用だったのかと思えてしまうほど。作品の中のコンピューターやロボット、シャトル、月のコロニーの建築物にそこはかとなくレトロな、実際レトロなデザインなのだけど、60年代風な印象がある。画風ということも言えるが、米国コミックス、グラフィックノベルの老舗出版社ファンタグラフィックス・ブック(Fantagraphics Books)のThe Comics Journal (https://www.tcj.com/)掲載のトム・ゴールドのインタビュー記事(A CONVERSATION WITH TOM GAULD Noah Van Sciver , September 12, 2016)を読むと、少し意図的なところもあるようだ。トム・ゴールドは月のコロニーを、“未来のユートピアでもなくディストピアでもない、その中間のようなもの”として捉えていて、そして1960年代~70年代前半の、生活が豊かになるとか月に行けるといった、科学技術に対する人々の憧れのようなポジティブな感覚に対して、現代のよりアンビバレントな、テクノロジーがあらゆる問題を解決してくれるわけではないと思っている感覚、こうした2つの時代の感覚をこの作品に投影させているようだ。オノマトペをほとんど使わずに進行する画面構成、横顔しか描かれない登場人物たち(これがトム・ゴールド画風のよう)、そしてブルーグレーの2色刷りの装丁。静かに少しずつ寂しさを積み重ねていく、こうした過剰ではない、淡々とした表現がこの作品に通底する静寂のトーンなのだろう。
お巡りさんは月を離れて地球に帰っていく人たちは名前で呼ぶけれど、共に月にいる最後の2人となってしまったミニカフェ<月のドーナツ>の店員さんとはお互いに名前も呼ばない。月にその店員さんと二人だけになってしまったことが分かって、ドライブに誘って一緒に地球を眺めて、それから彼らは名前を呼びあうのだろうか。
作家 トム・ゴールド TOM GAULD
『月の番人』(古屋美登里 訳 亜紀書房 2021年)
https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=1033
https://www.tomgauld.com/comic-books-v2
この記事へのコメントはありません。