REVIEW

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骨ドラゴンのマナ娘

龍あるいはドラゴンを思い浮かべてみよう。どんなイメージ=図像が現れてくるだろう?

龍、ドラゴンという想像上の生き物は、古来世界各地の神話や伝説に登場する。ざっくり、東洋では龍は皇帝のシンボルとして、あるいは雨を降らせ水を司る神の使い、龍神など神そのものとして信仰の対象にもなってきた。また龍は仏教では法を守護するものの一つともいわれてきたので、日本中の名刹の法堂で龍の天井画を仰ぎ見ることができる。大蛇のようにうねる鱗のついた体、ギョロリと睨む目、角や髭、鋭い爪のある手足(?)など、龍からイメージするのは、こうした姿かたちが多いかもしれない。一方、西洋でのドラゴンは、昔から神話や聖書にも登場し、悪の権化のような退治される対象であり、秩序を乱すものの象徴とされてきた。海獣や大蛇、恐竜のような姿に描かれ、次第に角や牙が付き、飛べるか分からないけれど翼が加えられバージョンアップされてきた。そうして時が経ち、東の龍と西のドラゴンは東の果ての日本の大きな想像世界で、その世界を構成するキャラクターの一つに成ったのだ。

1980年代に社会現象ともなった、RPGゲーム<ドラゴンクエスト>と鳥山明『ドラゴンボール』。現代日本のポップカルチャーの龍とドラゴンのかたちに、大きな影響を与えたコンテンツといえるだろう。もちろんこれらの作品にいたるまで、洋の東西を問わずしっかり歴史の積み重ねがあるが、ドラクエとドラゴンボールの爆発的なヒットによって、誰もが思い浮かべるような龍やドラゴンの形や設定の基準がひとたび認識されると、その後は自由に想像の赴くままにたくさんの組合せがどんどん生まれ追加されて、夥しいほどの造形が溢れている。龍やドラゴンが出てくるだけで、いま私たちが暮らす現実世界とは異なるファンタジーな世界が立ち上がってしまうのだが、例えばマンガ作品で挙げると、気弱すぎて勘当されたドラゴンが平穏に暮らす家を求めて旅する『ドラゴン家を買う』(原作:多貫カヲ、作画:絢薔子)、押しかけメイドのドラゴン娘との日常を描いた『小林さんちのメイドラゴン』(クール教信者)では、ドラゴンにも感情があって人間と同じように生活している。捕龍船の活躍を描く『空挺ドラゴンズ』(桑原太矩)では龍は資源であり食糧だ。『竜女戦記』(都留泰作)、『虎は龍をまだ喰べない。』(一七八ハチ)、『台所のドラゴン』(みよしふるまち)、『竜医のルカ』(平沢ゆうな)、その他にも龍やドラゴンが出てくる作品をあげるときりがないが、その中でも今回の雪白いち『骨ドラゴンのマナ娘』に登場するドラゴンは一風変わった姿をしている。

いろいろなモノが捨てられていく屑篭の森。一匹の老ドラゴンがその森で静かに最後を迎えようとしていたが、森に捨てられた人間の子供イブと出会い、その小さな命をその時がくるまで見守ることにする。そしてその時が来るが、イブは捨てられた書物の魔術で死んだはずのネム(老ドラゴンにイブが命名)を召喚する。しかしイブの魔術が未熟だったためか、ネムはなぜか骨だけの姿で召喚されてしまった。再び一緒にいる機会を得て、イブとネムはコネ(ネムの仔竜たちを探し出して、人脈ならぬ竜脈をつくる)、カネ(生活するためのお金を稼ぐ)、ホネ(健康)をモットーに、森を出てイブが生きていく術を身につける旅を始める。人ではないものが見える宿屋の若い主人ユウルと出会い、彼の世話でイブは”魔女のお使い”仕事を始める。次第に人との関わりができ、商魂たくましいエルフのロゼやドワーフたちとも交流し、そのつながりはネムの仔竜たちとへとつながっていく。いまのところイブの魔女としての成長物語というよりは、ネムの仔竜たちと出会うまでの様々な事件や人との関りを通した、“捨てられていた”イブの心の回復と成長の物語だろう。距離を置くように見えても、ユウルやエルフたちはイブを見るまなざしは優しい。過去の自分の傷ついた気持ちや経験をイブに投影しているのか、イブの成長は彼らの再生でもあるようだ。雪白いちのふんわりとかわいらしい造形と、表情をあらわさないイブ、骨格だけとなったネムやユウルの辛口のツッコミを交えた会話とのズレが、作品の雰囲気をファンタジーの甘さだけに終わらせていない。どこまでネムの骨の身体がもつのか、すべての仔竜たちとコネをつくることができるのか、ユウルの行動の背景には何かあるのか。波乱を含みつつイブたちの物語は進んでいくのだろうけれど、やはりイブが微笑む展開を期待したい。

written by Undo

作家雪白いち
作品情報骨ドラゴンのマナ娘
(マックガーデン マッグガーデンコミックスBeat’sシリーズ 4巻刊行中)

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