REVIEW

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『かくかくしかじか』

1999年にデビュー、『ひまわりっ ~健一レジェンド~』『海月姫』『主に泣いています』『東京タラレバ娘』など実写化された作品も多い東村アキコ。ギャグ、パロディをベースに、女性たちのリアルな言葉や気持ちを描く一方で、育児をテーマにしたエッセイ漫画『ママはテンパリスト』、戦国時代を描いた『雪花の虎』、縦スクロールマンガ『私のことを憶えていますか』など、様々なジャンルや媒体に常に挑戦している。『かくかくしかじか』は東村アキコが自身の半生を描いた作品だという。

前回#18で触れた日本のマンガの“美術”のジャンルだが、そのサブジャンルともいえる“美大”ジャンルがある。『かくかくしかじか』が横断するいくつかのジャンル(例えば“漫画家”や“自伝”など)に、この“美大”ジャンルも加えることができる。唐突だが、美大や美大生というとどのようなイメージだろう?おそらくニュースで定期的に取り上げられるような就活している大学生、街頭インタビューでマイクをむけられている大学生とはちょっと違う、普通とは違うというイメージがないだろうか。こうした普通とはちょっと違っているというイメージは、マンガのキャラクターによく採用される。1970年代の“乙女ちっく”少女マンガを代表する田渕由美子の『フランス窓便り』にも、美大生を主人公にした話がある。年齢不詳、オリジナリティ溢れるファッション、破天荒な行動などなど、美大生のイメージは現代と変わらない。2000年代の『ハチミツとクローバー』(羽海野チカ)も美大生たちが主人公だが、登場人物それぞれが片思いという恋愛関係がストーリーの軸だ。近年のヒット作『ブルーピリオド』(山口つばさ)、『海が走るエンドロール』(たらちねジョン)では、美大生は表現することの喜びや苦しさを、等身大の若者、あるいは挑戦していく姿を描いて読者の共感を得た。時代の変化に美大ジャンルも呼応し、美大生像も進化している。

さて今回の『かくかくしかじか』は、主人公の明子(東村アキコ本人とのこと)が、絵画の恩師であった日高先生との繋がりを、出来事を一つ一つ回想していく作品だ。小さい頃から漫画家に憧れていた明子は、美大に行って漫画家デビューすると夢想する高校生で、美大受験という大きな人生の節目に日高先生と出会う。日高先生の超絶厳しい指導と自身の奮闘で美大になんとか入学するが、入学した途端に絵が描けなくなってしまう。描くことから逃げ出した明子を叱り飛ばし、描くことに連れ戻したのは日高先生だった。教え子たちが表現の壁に突き当たってしまったとき、迷いの中で懊悩しているとき、日高先生は変わらずに「描け」とだけ言い続ける、ただひたすら「描け」と。この作品の中では、東村アキコが自分の半生を振り返るとともに、日高先生が言い続けた「描く」ということについて、描くこととは何か?を繰り返し繰り返し問う。人は往々にして苦しく辛いことより、楽しくて楽な方へなびくもの。明子が描くことから目を逸らし、日高先生の叱咤激励を鬱陶しいと感じる様子を、東村アキコは隠さず描いている。日高先生との記憶を辿る明子は、記憶の中の先生に対して常にごめんなさいと謝る。読んでいる方が辛く苦しくなるようなエピソードもあるが、それこそが一人の人間が成長していく姿だろう。日高先生が期待していたように画家としてではなく、漫画家として絵を描き続ける明子は、仕事でもプライベートでも失敗も後悔も日高先生との経験で乗り越えてきた、そしてこれからも乗り越え描き続けると宣言して作品は終わる。『かくかくしかじか』は東村アキコ自身の物語だが、すべての描く人たちへの叱咤であり声援である。

written by Undo

作家東村アキコ
作品情報『かくかくしかじか』(集英社 全5巻)
https://cocohana.shueisha.co.jp/story/higashimura/kakukaku/

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